積極損害と消極損害。並べて書かれると双子のようで、漢字だけ見てもピンときません。積極的な損害とは何なのか、消極的な損害とは何なのか、と考え始めると、余計に分からなくなります。
でもこの2語は、損害の中身を言っているのではありません。財産がどっちに動いたかを言っています。
- 積極損害=出ていったお金。手持ちの財産が現に減った分。
- 消極損害=入ってこなかったお金。本来なら増えるはずだった財産が、増えなかった分。
積極・消極は、損害の性格ではなく、財産の動く向きのラベルです。ここが分かると、あとは全部並びます。
公の文書で、中身を確かめる
抽象的な説明だけだと不安なので、実際に区分を使っている公的な文書を見ます。自賠責保険の支払基準(平成13年金融庁・国土交通省告示第1号)です。
傷害による損害について、こう書かれています。
傷害による損害は、積極損害(治療関係費、文書料その他の費用)、休業損害及び慰謝料とする。
積極損害の中身が、括弧で示されています。治療関係費、文書料、その他の費用。どれも、事故がなければ払わずに済んだお金です。出ていった分。
そして後遺障害については、こうです。
後遺障害による損害は、逸失利益及び慰謝料等とし、…
逸失利益。後遺障害が残らなければ稼げたはずのお金です。入ってこなかった分。
ここで気づくことがあります。この告示は「消極損害」という言葉を使っていません。休業損害、逸失利益、と具体名で書いています。積極損害・消極損害という対の言い方は、実務や公文書の用語というより、損害を整理するための教科書の言葉なのです。
だから、漢字を睨んでも意味が浮かんでこないのは当然でした。中身から覚えるほうが早い。
| 区分 | 財産の動き | 具体例 |
|---|---|---|
| 積極損害 | 出ていった(減った) | 治療関係費、文書料その他の費用 |
| 消極損害 | 入ってこなかった(増えなかった) | 休業損害、逸失利益 |
| 精神的損害 | お金の増減ではない | 慰謝料 |
3つ目の箱があることも大事です。慰謝料は財産の損害ではありません。民法710条が、財産以外の損害に対しても賠償の責任を負う、と定めています。不法行為の一般規定は709条です。
社労士試験で、この区別がどこで効くか
用語の整理としては以上ですが、受験生がこの2語に出会うのは、たいてい労災保険と損害賠償の調整の場面です。そしてここでは、区別できないと問題が読めません。
最高裁は、昭和62年7月10日の判決で、こう判断しています。
労働者災害補償保険法による休業補償給付若しくは傷病補償年金又は厚生年金保険法(昭和六〇年法律第三四号による改正前のもの)による障害年金は、被害者の受けた財産的損害のうちの積極損害又は精神的損害から控除すべきでない。
最高裁がここで否定したのは、積極損害と精神的損害から差し引くことです。裏を返せば、労災給付がぶつかる相手は消極損害の側になります。
したがって、積極損害や精神的損害にあたる部分は、労災給付を受け取っていても、埋まらずに残ることになります。
なぜそうなるのか。労災の休業補償給付は、賃金を受けない日について支給されるものだからです。働けなくて入ってこなかった賃金を埋めるための給付なので、埋める相手も「入ってこなかったお金」=消極損害になる。性質の同じもの同士でしか、相殺は起きません。
条文の側から見る「同一の事由」
この考え方は、条文にも顔を出しています。労働基準法84条2項です。
使用者は、この法律による補償を行つた場合においては、同一の事由については、その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。
免れるのは「同一の事由については」「その価額の限度において」だけ。この2つの限定が、さきほどの判例と同じことを言っています。事由が違えば免れないし、金額を超える部分も免れない。
「同一の事由」というのは、日付や事故が同じという意味ではありません。填補しようとしている損害の性質が同じ、という意味です。ここを取り違えると、労災の調整はまるごと読めなくなります。
第三者が起こした事故のとき
もう1つ、区別が効く場面があります。通勤中に他人の車にはねられた、というような第三者行為災害です。
政府は、保険給付の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合において、保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で、保険給付を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。
政府が先に給付したら、その分だけ加害者への請求権を政府が引き継ぐ(求償)。逆に、被害者が先に加害者から賠償を受けたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができる(控除)。
二重取りを防ぐ仕組みですが、ここでも条文は「同一の事由について」と限定しています。どこまでが同一の事由なのかは、さきほどと同じく、損害の性質で決まります。
英語にすると分かる、けれど置き換えは危ない
この2語を英語で調べると急に腑に落ちる、という声をよく見ます。感覚としてはよく分かりますし、入口としては有効です。
ただ、そのまま置き換えるのは危ないところがあります。英語圏の damages の切り分け方は国や文脈によって違い、日本の積極損害・消極損害と1対1で対応するとは限りません。訳語の広さが日本語の区分とずれていれば、そこで理解が食い違います。
イメージを掴む足場としては使い、答案や実務の言葉としては日本語の区分で書く。これが安全です。
(ここは条文や判例の話ではなく、言葉の対応についての補助線です。)
まとめ
積極損害と消極損害は、損害の中身ではなく、財産がどっちに動いたかのラベルです。出ていったのが積極、入ってこなかったのが消極。そして、そのどちらでもない箱として慰謝料がある。
この3つ目までを分けておくと、労災保険と損害賠償の調整が読めるようになります。最高裁が積極損害と精神的損害を控除の対象から外したのも、労基法84条2項が「同一の事由」と限定しているのも、同じ理屈です。性質の同じもの同士でしか、埋め合わせは起きません。
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ここまでが「試験ではここまで」。この先は、答えがそう決まる判断の構造(法律→指針・通達→判例のつながり)まで踏み込みます。
- どの給付が、どの損害を埋めているのか
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